人を見て改めて自分を確認できる

年齢を重ねてくると、若い頃にやっておけばよかったこと、親や年長者から言われていたことを素直に聞いておけばよかったと思う瞬間が増えてくる。 最近は、若い子に向けて自分がその話をしていることに気が付く。 「なんであの時、きちんと耳を傾けなかったんだろう…」と、ふと考える。

とはいえ、過ぎた時間を悔やんでも戻ってくるわけではない。 それに、時間というものは“平等”ではないと僕は思う。 人それぞれに与えられた時間があり、その使い方も違う。 「時間は誰にでも平等だ」なんて言う人は、ある意味のんきなのだと思う。 時間は等しく流れているようで、実際はそうではない。

大人になって気付く「所作」という価値

大人になって感じるのは、立ち振る舞い――つまり 所作 の重要性だ。

常識は人によって違う。 でも「相手にとって何が不快か?」という視点は、誰にでも共通して持てるはずだ。

  • 電車の中で足を乱暴に投げ出さない
  • 食事中に話すなら箸を置いて話す

こういう細かい所作を「堅苦しい」と言う若い人もいる。 でも、いざ何かをお願いしたり、契約したり、誰かと付き合ったりする場面では、結局その人の所作や丁寧さが判断基準になる。

人は自分事にならないと無関心になる。 だから、普段の電車や食事の場面で「周りからどう見られているか」を気にし始めるとストレスになることもあるだろう。

それでも僕は思う。 丁寧に生きている人に、悪い人は少ない。

丁寧に生きるという選択

だからこそ、最近の僕は「丁寧に生きる」ということを意識している。 所作、言葉、態度、時間の使い方――そのすべてを丁寧に扱うこと。

僕には大義がある。 それを見つけることができたこと。 それが天命だと気付いた時、涙が出た。

神様、いつもありがとうございます。 明日も生存する。

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