体調が悪い中で、ただ待つしかないプロセスが続いている。 4日目。体がずっとしんどくて、全身が思うように動かない。 そんな自分に、ついネガティブな気持ちが顔を出してしまう。
良いことが起きたら、雪崩のように物事が動き始めると信じているのに、今はただ静かに過ごすことしかできない。 体調が悪いと周囲にも伝えているのに、お構いなしに連絡をしてくる人たちもいて、ほとほと嫌になる。 本当に自分のことしか考えていないんだと、滑稽な姿を見せつけられているようで、悲しくなる。
逆の立場だったら、きっとこう言われるのだろう。 「そんな時だからこそ連絡して心配してほしいんじゃないの?」 でも、そういう価値観の違いこそが、もう交わることのない境界線なのかもしれない。 どうして苦労していない人間が平然としていて、優しい人ばかりが損をするんだろう。 そんなことを考えてしまう。
沖縄の夢が示した「次のステージの予告」
そんな中、夢を見た。 沖縄に行っていた。前入りしていて、誰かを待っている。 途中でレンタカーを手配し忘れていたことに気づき、急いで電話して手配していた。
以前関わっていた人たちもいて、彼らは誰かに指示されて右往左往していた。 それを見て、僕は「変わらないねぇ」とつぶやいたところで目が覚めた。
夢占いではこうだった。
- 沖縄のような南国:解放感、生命力の回復、新たな可能性
- 前入りしている:一歩先に次のステージに到達している
- 誰かを待つ:これから訪れる重要なチャンス、人生の待ち合わせ場所に立っている
- 結論:自由な個人としての新しい人生をリハーサルしている
まさに「ステージアップ」の予告のようだった。
今の体調不良は“神様の手綱”なのかもしれない
ただ、この体調不良は逆に、 「今は急に動き出すな。もう少し見極めてから出発しなさい」 そう言われている気がしてならない。
春が来たから全速力で行きたい。 でも、まだ仕掛けどころではない。 今動いてしまったら、最後まで持たない。 そんな感覚がずっとある。
周囲には入院と伝えているから、ほとんどの人は落ち着いている。 一部の自分勝手な人間は置いておくとして、全体としてはブレーキがかかっている状態。 完全停止ではない。 ただ、まだ“GO”ではない。
競馬のように、神様が僕の手綱を引いている
昔、競馬が好きだった。 いろいろあって距離を置いたけれど、今になって思い出す。
早く行きたがる馬を、騎手がしっかり手綱を引いて抑える。 馬は行きたくて仕方がない。 でも、騎手は最も良いポジションで手綱を締め、 「今だ」という瞬間にGOサインを出す。
その瞬間、馬は電光石火の末脚を爆発させる。
今の僕は、まさにその感覚だ。
神様が僕の手綱を引いている。 「まだだよ。もう少し待ちなさい。絶好の仕掛けどころは間もなく来るから」 そう教えてくださっているように感じる。
だから、信じる。 信じて、手放す。 それが今の僕にできること。
神様、いつもありがとうございます。 明日も生存する。
「痩せたことで、思わぬ変化が起きてる」
「自己紹介はこちら」
「急に親知らずを抜くことに」
「諦めなかった先に見える景色を信じて」
「軍資金ゼロ、自分軸だけで1500万」
「お金が尽きたとき・・・・・」
「おまけが資産になる日・・・」
「小さい喜びがあると反射で起きること」
「からだを労わること」
「砂漠の地下シェルター」


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